吉川ひなの、生い立ちがやばい!両親、兄との関係は?

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吉川ひなのさんは1979年12月21日に東京都東久留米市で出生されました。東久留米市は、西武池袋線の清瀬やひばりが丘、西武新宿線だと小平や花小金井、のあたりですね。現在はLAやHawaiiなど、おもにアメリカ合衆国にお住まいですね。身長は168㎝、血液型はB型との情報です。

生い立ち

お祖父様が、ネイティブアメリカンとフランスのハーフだったそうで、吉川ひなのさんはクォーターになるようです。デビュー当初は事務所(レプロエンタテインメント)の意向で、純正日本人として売り出しておりました。本名は高田愛さんとおっしゃるそうです。本名もカワイイですね。

出典:https://resumedia.jp/20649.html

ご両親と、9歳年上のお兄様・高田一也さん、他にお姉様・舞さんと、現在はパティシエをしている妹さん・麗さんの6人家族だったそうです。

(妹さん・麗さんと吉川ひなのさんは双子だという説があります。お母様・カズエさんはフィリピン人との説あります。)

吉川ひなのさんはお父様に、お父様の職業は『吟遊詩人』もしくは『人間国宝の画家』と答えるように指示をされていたそうです。(もちろん嘘のようです。)

9歳年上のお兄様

下記は10歳の時のお兄様と、まだ赤ちゃんの吉川ひなのさんの写真です。

出典:https://decopachi.com/entry/yoshikawa-hinano-parents

お兄様はかつて、ビジュアル系バンド『Die:SEXION』のメンバーをしていたそうです。写真を見る限りLUNASEAじゃなく更に前、BUCK-TICKなどの影響を受けているようですね。

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お兄様は現在ではスポーツインストラクターのお仕事をしており経営者だそうです。

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お兄様とは今でも仲が良いようです。

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極貧の幼少期

吉川ひなのさんの生家は貧しく、往々にして家の電気がつかない、電話が止まっていることがあったそうです。居留守を使った借金取りとの攻防戦が繰り広げられ、お母様は納戸に隠れ、吉川ひなのさんがスーツを着た見知らぬおじさんに『お母さんは今いない』というと、おじさんは『お嬢ちゃんが呼んでくれるまでおじさんたちは帰れない』と言われ吉川ひなのさんは学校に行けなかったそうです。

出典:https://proadobe10.com/yoshikawahinano-oitachi/

両親からの搾取

吉川ひなのさんが仕事をするようになると、ご両親は吉川ひなのさんを金銭的に頼るようになっていきました。しかしご両親は豪邸を購入するなどの浪費で、吉川ひなのさんが稼いだ莫大なお金を全て使い果たしていたそうです。

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そんなご両親による心労から吉川ひなのさんは、芸能の仕事ができなくなってしまいました。決まっていた大手食品メーカーの仕事から逃げるために、わざと鼻ピアスを開けたりしていたそうです。

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仕事がなくなりお金に不自由した吉川ひなのさんは、ご両親の元に全て預けていた自分の稼いだお金を借りに行きました。すると渡された通帳には、一ヶ月分の家賃にも満たない金額しか入っていなかったそうです。

その後吉川ひなのさんは自分のお給料を自分名義の口座に振り込むようにしてもらいました。するとお父様が毎日家の前で、吉川ひなのさんの帰りを待ち伏せするようになったそうです。あるとき吉川ひなのさんが『今お金がない』というとお父様は、吉川ひなのさんが500円玉貯金をしていたマイメロディの貯金箱を持ち去ったそうです。

このように吉川ひなのさんの20代はとても悲惨で、吉川ひなのさんは当時はお酒に逃げることもあったそうです。

https://www.instagram.com/tv/Cb7DThCpU9A/?utm_source=ig_web_copy_link

 

略歴(1990年代の全盛期)

1991年12歳の時、銀座でスカウトされて芸能界入りします。さっそく伊勢丹広告に出演します。

出典:https://yumeijinhensachi.com/archives/65939

中学時代は10歳年上の男性と交際していたそうで、かなり早熟な少女だったようです。まあ、お兄様が9歳年上ですから、親和性の高いゾーンだったのかもしれません。

1994年15歳の時、フジテレビ『学校では教えてくれないこと!!』でレギュラーを務め、バラエティでも活躍しました。

1997年18歳の時、『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』で女優デビューを果たし、第21回日本アカデミー賞新人賞の実績を残しています。ちなみにこの時の主演女優賞が、黒木瞳さんの『失楽園』ですから時代を感じますね。

出典:https://www.jprime.jp/list/tag/

第21回日本アカデミー賞新人賞を受賞した1997年は、藤井フミヤさんが初プロデュースを手がけた『ハート型の涙』で歌手デビューを果たし、その後も藤井フミヤさんからなんと4曲もプロデュースを受けており、まさにパーフェクトなお膳立てでしたが、残念ながらCDはあまり売れませんでした。

1999年2月、19歳でビジュアル系バンドSHAZNAのIZAMさん(当時22歳)と結婚されましたが、わずか7ヶ月でスピード離婚してしまいます。お2人とも若すぎたのかもしれません。

2004年24歳の時、パリコレに出演しました。美貌は身を助けます。

転機(2度目の結婚で渡米)

2011年31歳の時、会社経営者の保科爵介さんと2度目の結婚をしました。交際期間は長く、2006年頃から付き合いをしていたそうです。結婚発表時は妊娠4ヶ月だったようですが、単純なでき婚とは違うようです。

保科爵介(ほしなたかすけ)さんは1974年生まれで、若い頃はやんちゃだったようです。(高名な関東連合の千歳台黒帝会の前身にあたる「新宿ジャックス」というチームの創設者メンバーとされています。)

保科爵介さんは結婚当初「Nitro Production」というHIPHOP関連の会社の社長さんでした。現在は別の会社を経営しているそうです。

保科爵介さんは昔は色々な武勇伝があったようですが、吉川ひなのさんにはきちんと向き合って、吉川ひなのさんが自分に自信がつくようになる助けとなったようです。保科爵介さんも吉川ひなのさんとの間にお子さんに恵まれ、昔と違い落ち着いたのかもしれません。

まとめ

吉川ひなのさんは結婚後は夫を支え、家具ブランド「Rubanchou」や、子供服ブランド「Love the Earth」などを経営しているそうです。

インスタグラムなどで近況を拝見するに、とても幸せそうな吉川ひなのさんの雰囲気が伝わってきます。まだ小さいお子さんが3人もいるので、芸能活動は「ぼちぼち」なのかもしれません。これからの吉川ひなのさんに注目していきます!

 

 

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