中島美嘉、清水邦広との離婚 耳の病気支えた旦那のアドバイス

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遠恋乗り越え結婚、約3年後に離婚

中島美嘉さんは、2014年12月にバレーボール選手の清水邦広さんと結婚しました。1986年生まれの清水邦広さんは、中島美嘉さんの3つ歳下となります。出会いとなった、清水邦広さんの試合観戦はTVでも放映され、恥ずかしそうに「お友達になってください」と連絡先を渡す中島美嘉さんの姿は、ファンから絶賛されました。

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それからは東京と大阪の遠距離恋愛の乗り越えめでたく結婚。ラブラブメールがTVで公開されるなど、まさに順調なお2人でしたが、2018年2月に離婚を発表します。

離婚の兆候があった?

実はこの伏線ともいえる兆候が以前にもあり、2017年9月の放送で清水邦広さんが相葉雅紀さんに、「夫婦が逢うのは月3、4回」を話し、また中島美嘉さんの、「2人でいるときもなぜイヤホンで映画を見ている?」発言に、相葉雅紀さんの、「1人でいるときに見なさいよ!」つっこみが入る場面がありました。

3歳歳下の清水邦広さんは中島美嘉さんにまったく頭が上がらず、中島美嘉さんのアドバイスで、結婚前の短髪ジャージの私服姿は、パーマ細眉&ドルガバの私服に変貌を遂げました。

現在でもカラオケで人気の持ち歌があり、年収数千万はくだらない中島美嘉さんと清水邦広さんでは、年収および金銭感覚に多大な格差があると言われていました。

派手な格好で試合を応援にくる、「中島美嘉さんご一行」は、必ずしもバレー関係者からよく思われていなかったといわれています。

2018年離婚時の清水邦広さんは、既にバレー選手としてベテラン域に入っていました。2017年のグラチャンバレーでは、足首の疲労骨折が原因で代表落ちもしています。選手生命を脅かしかねない故障に、清水邦広さんは心中穏やかならぬ事態だったことが想像されます。こんなところも、離婚の遠因となったのではないでしょうか。

中島美嘉さんを支えた清水邦広さんのアドバイス

中島美嘉さんは、清水邦広さんと出会う前の2010年に、耳の不調で活動を休止しています。「両側耳管開放症(りょうそくじかんかいほうしょう)」という病気のようです。原因は特定できませんが、急激な体重減少などが、その要因となることもあるようです。

「両側耳管開放症」とは、通常は閉じている筈の耳の鼓膜の奥にある管が、常に開いたままになってしまう症状で、音が必要以上に多く聞こえたり、正しい音程が聞き取れなくなったりする病気なのだそうです。急激に体重が減少すると、耳管周辺の脂肪減少により、変異が起こるようなのですね。

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2015年、中島美嘉さんは病気について、「聞こえないために余計のどを荒く使ってしまい、声がでなくなった。誰にも打ち明けられず、周囲からは“努力がたりない”と責められて辛かった」と胸の内を語っています。実はこの辛い時期を支えたのが、元夫の清水邦広さんだと言われています。

「前向きな言葉を使うと強くなる」、「辛いときこそ、笑ってみろ」などの、清水邦広さんの具体的なアドバイスで、実際に中島美嘉さんは出ない声が出たり、心からライブを楽しいことだと思えたり、劇的に状況がよくなったそうです。

医者からは、不治の病だと言われたため、引退を考えていましたが、周囲にも「無期限休業にしましょう」と励まされ、いまは三半規管を鍛えるトレーニングなどを続けながら、病気とうまくつきあっているとの事です。

中島美嘉さんの生い立ち

中島美嘉さんの生い立ちを見てみましょう。1983年鹿児島県日置市で出生した中島美嘉さんは、三姉妹の末っ子として育ちました。お母様は再婚で、姉2人とは種違いとの事です。幼少期から団体行動が苦手で、幼稚園が大嫌いだったそうです。3歳から日舞、民謡をお母様の手引きで習い、この辺にのちの芸能活動の片鱗が窺えます。

1996年、中学2年生の時、中島美嘉さんは鹿児島市内に転校しますが、ここで先輩からのいじめに遭い、不登校になったエピソードがあります。カラオケボックスや友人宅へのたむろ、酒・タバコ・ケンカ・万引き、というのが主なメニューで、この頃、警察への補導歴があったそうです。このころ、真に心を許せる友人以外には、いちいち腹が立って仕方なかったという中島美嘉さんです。典型的な思春期です。

中学時代からタレント養成所に通っていた中島美嘉さんは、すでに詞を書き始めていました。その後高校には進学せず、アルバイト生活を過ごします。一番長続きしたのがファーストフード店で、客の目を見ずに遠くをみるようにしていたそうです。そんな中島美嘉さんですが、1年ほどのアルバイト経験を通して、周囲との会話などが以前よりできるようになったそうです。

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1999年、16歳になった中島美嘉さんは福岡市に移転します。友達3人とアパートで生活しながら、モデル活動を始めます。そのころは、歌は苦手だったようです。知り合いから自作音楽デモテープのボーカル協力を依頼され承諾したところ、レコード会社より、「ボーカルの子を紹介してほしい」と依頼され、中島美嘉さんはオーディションをうけることとなります。

歌手としてデビュー

続々とオーディションを勝ち抜いていく中島美嘉さんですが、意味がわからず、周りのライバルに「これ何の審査ですか?」ときいて顰蹙をかう場面もあったそうです。結局中島美嘉さんはオーディションに合格し、「STARS」で歌手デビューのみならず、同曲を主題歌にした「傷だらけのラブソング」(フジ系)で女優デビューを果たします。

翌年リリースのアルバム「TRUE」ではオリコンチャート1位でミリオンヒット。セカンドアルバム「LØVE」もオリコン初登場1位でミリオンとなります。「LOVE」収録の、「雪の華」は、あまりにも有名ですね。

中島美嘉さんを、これからも応援していきます!

 

 

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