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生い立ち
1983年鹿児島県日置市で出生した中島美嘉さんは、三姉妹の末っ子として育ちました。お母様は再婚で、姉2人とは種違いとの事です。幼少期から団体行動が苦手で、幼稚園が大嫌いだったそうです。3歳から日舞、民謡をお母様の手引きで習い、この辺にのちの芸能活動の片鱗が窺えます。
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いじめで不登校
1996年、中学2年生の時、中島美嘉さんは鹿児島市内に転校しますが、ここで先輩からのいじめに遭い、不登校になったエピソードがあります。カラオケボックスや友人宅へのたむろ、酒・タバコ・ケンカ・万引き、というのが主なメニューで、この頃、警察への補導歴があったそうです。このころ、真に心を許せる友人以外には、いちいち腹が立って仕方なかったという中島美嘉さんです。典型的な思春期です。
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中学時代からタレント養成所に通っていた中島美嘉さんは、すでに詞を書き始めていました。その後高校には進学せず、アルバイト生活を過ごします。一番長続きしたのがファーストフード店で、客の目を見ずに遠くをみるようにしていたそうです。そんな中島美嘉さんですが、1年ほどのアルバイト経験を通して、周囲との会話などが以前よりできるようになったそうです。
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偶然のオーディションでブレイク
1999年、16歳になった中島美嘉さんは福岡市に移転します。友達3人とアパートで生活しながら、モデル活動を始めます。そのころは、歌は苦手だったようです。知り合いから自作音楽デモテープのボーカル協力を依頼され承諾したところ、レコード会社より、「ボーカルの子を紹介してほしい」と依頼され、中島美嘉さんはオーディションをうけることとなります。
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続々とオーディションを勝ち抜いていく中島美嘉さんですが、意味がわからず、周りのライバルに「これ何の審査ですか?」ときいて顰蹙をかう場面もあったそうです。結局中島美嘉さんはオーディションに合格し、「STARS」で歌手デビューのみならず、同曲を主題歌にした「傷だらけのラブソング」(フジ系)で女優デビューを果たします。
思えば私の人生半分以上は美嘉ちゃんの歌を聴いてる#中島美嘉 https://t.co/XjLb1ZUn2y
— みかん (@mikanmogu2) January 29, 2020
翌年リリースのアルバム「TRUE」ではオリコンチャート1位でミリオンヒット。セカンドアルバム「LØVE」もオリコン初登場1位でミリオンとなります。「LOVE」収録の、「雪の華」は、あまりにも有名ですね。
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— エンタメOVO(オーヴォ)編集部 (@EntameOVO) January 29, 2020
清水邦広さんとは
遠恋乗り越え結婚
中島美嘉さんは、2014年12月にバレーボール選手の清水邦広さんと結婚しました。1986年生まれの清水邦広さんは、中島美嘉さんの3つ歳下となります。出会いとなった、清水邦広さんの試合観戦はTVでも放映され、恥ずかしそうに「お友達になってください」と連絡先を渡す中島美嘉さんの姿は、ファンから絶賛されました。それからは東京と大阪の遠距離恋愛の乗り越えめでたく2014年12月に結婚しました。ラブラブメールがTVで公開されるなど、まさに順調なお2人でした。
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離婚の伏線
ところが4年後の2018年2月に離婚を発表します。この伏線ともいえる兆候が以前にもあり、2017年9月の放送で清水邦広さんが相葉雅紀さんに、「夫婦が逢うのは月3、4回」を話し、また中島美嘉さんの、「2人でいるときもなぜイヤホンで映画を見ている?」発言に、相葉雅紀さんの、「1人でいるときに見なさいよ!」つっこみが入る場面がありました。
はぁ!?無理。2人ともかわいすぎるから笑#中島美嘉 #浅野ゆう子 pic.twitter.com/Aj6zmb5SGP
— 紗霧 (@brain_0124) January 30, 2020
収入の格差
現在でもカラオケで人気の持ち歌があり、年収数千万はくだらない中島美嘉さんと清水邦広さんでは、年収および金銭感覚に多大な格差があると言われていました。
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派手な格好で試合を応援にくる、「中島美嘉さんご一行」は、必ずしもバレー関係者からよく思われていなかったといわれています。
私生活でも、3歳歳下の清水邦広さんは中島美嘉さんにまったく頭が上がらず、中島美嘉さんのアドバイスで、結婚前の短髪ジャージの私服姿は、パーマ細眉&ドルガバの私服に変貌を遂げました。
仕事でも格差
2018年離婚時の清水邦広さんは、既にバレー選手としてベテラン域に入っていました。2017年のグラチャンバレーでは、足首の疲労骨折が原因で代表落ちもしています。選手生命を脅かしかねない故障に、清水邦広さんは心中穏やかならぬ事態だったことが想像されます。こんなところも、離婚の遠因となったのではないでしょうか。
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耳の病気を救った元夫
中島美嘉さんは、清水邦広さんと出会う前の2010年に、耳の不調で活動を休止しています。「両側耳管開放症(りょうそくじかんかいほうしょう)」という病気のようです。原因は特定できませんが、急激な体重減少などが、その要因となることもあるようです。
「両側耳管開放症」とは、通常は閉じている筈の耳の鼓膜の奥にある管が、常に開いたままになってしまう症状で、音が必要以上に多く聞こえたり、正しい音程が聞き取れなくなったりする病気なのだそうです。急激に体重が減少すると、耳管周辺の脂肪減少により、変異が起こるようなのですね。
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2015年、中島美嘉さんは病気について、「聞こえないために余計のどを荒く使ってしまい、声がでなくなった。誰にも打ち明けられず、周囲からは“努力がたりない”と責められて辛かった」と胸の内を語っています。実はこの辛い時期を支えたのが、元夫の清水邦広さんだと言われています。
「前向きな言葉を使うと強くなる」、「辛いときこそ、笑ってみろ」などの、清水邦広さんの具体的なアドバイスで、実際に中島美嘉さんは出ない声が出たり、心からライブを楽しいことだと思えたり、劇的に状況がよくなったそうです。
2018年、進退を考えるほどの大ケガを負った #パナソニックパンサーズ の #清水邦広。懸命なリハビリでVリーグに復帰し、日本代表でもプレーした清水に、その苦闘と五輪出場への思いを聞いた。@JIJIDJSARINA @mikari555 https://t.co/Vh9lM9hrEh
— 集英社スポルティーバ (@webSportiva) January 18, 2020
医者からは、不治の病だと言われたため、引退を考えていましたが、周囲にも「無期限休業にしましょう」と励まされ、いまは三半規管を鍛えるトレーニングなどを続けながら、病気とうまくつきあっているとの事です。
残念ながら別々の道を歩むことになった中島美嘉さんと清水邦広さんですが、実は清水邦広さんは中島美嘉さんの歌手声明に大きな影響を与えていたのでした。夫婦の事は2人にしかわからないものですね。
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まとめ
身内のギタリストと再婚
中島美嘉さんは、2023年の誕生日である2月19日に再婚を発表しました。お相手はバンドメンバーで身内ともいえるギタリストの馬谷勇(うまたに・いさむ)さんです。中島美嘉さんの2歳年上です。
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中島美嘉さんを、これからも応援していきます!