高嶋ちさ子、夫は盛田賢司で子供は2人?兄、姉、父、母の家族情報

Pocket

高嶋ちさ子さん(1968/8/24~)は東京都出身の著名バイオリニストです。身長は158cm、血液型はA型との情報です。本名は「知佐子」さんといいまして、お姉様「未知子」さんの名からの「知」と、助けるという意味をもつ「佐」という字からで構成されています。

実はバイオリンを始めたのが6歳で、バイオリンを始めるには比較的遅い年齢で最初はなかなか上手くならなかったそうです。そこでちさ子さんのお父様が、ちさ子さんが小学校5年生の頃、NHK交響楽団のコンサートマスターだった徳永二男さんに、ちさ子さんを託したそうです。徳永二男さんの指導を受け、ちさ子さんはメキメキ上達していきました。ちさ子さんは米国のイェール大学大学院でバイオリンの奨学生となり、プロのバイオリニストになりました。

出典:https://nadagiuseppe.com/entertainment/2127/

夫・盛田賢司さん(1999~)

高嶋ちさ子さんは1999年2月にミキモト社員の盛田賢司さんと結婚しました。お名前をきいてピンとくるかもしれませんが、ソニーの創業者・盛田昭夫さんの末弟さんである、ソニー生命元社長・盛田正明さんの息子さんが、ミキモト社員の盛田賢司さんであります。

なれそめ

馴れ初めは、高嶋ちさ子さんの友人が結婚指輪を購入するため訪れたミキモトで、大学時代の知己にバッタリと出逢います。ちさこさん友人の大学時代の知己というのが、ミキモト社員の盛田賢司さんだったわけですね。インスピレーションを感じたちさ子さん友人は、すぐさま盛田賢司さんをちさ子さんに紹介。

ご友人の見立てに間違いはなく、盛田賢司さんはちさ子さんのハートに刺さります。因みに盛田賢司さんは、家柄がよろしいだけでなく、高身長のイケメンだそうです。そして多分、お頭も性格もよろしいのだと思います。持っている人は、何でも持っているものですよね。ヴィジュアルも家柄も頭も良ければ、ひねくれる理由がみつからない!

なんでも盛田賢司さんは好人物でモテまくるものの、スペックが高すぎて実際至近距離にはあまり女性が寄り付かなかったそうなのです。ちさ子さんのために特別リザーブされていたような状態でした。

ちさ子さんの猛アタック

当時の事を、2020年2月の「今夜くらべてみました(日テレ)」で高嶋ちさ子さんは「“結婚しよう”とすぐにいいました」と話しています。また当時、当該彼に“彼女がいた”件について、「まず、そこから整理しようか」といったとも話されています。この言葉の真意は、「特に真剣に付き合っている訳でないなら、中途半端は止めたほうがいい」という事だったとも語っていました。

その後2ヶ月にわたり、高嶋ちさ子さんは盛田賢司さんをガンガンにデートに誘い、自ら運転する車で仕事への送り迎えまでしていたそうです。継続アタックが功を奏し、わずか2ケ月でめでたく2人はゴールインします。高嶋ちさ子さんは、「恋愛」とか「駆け引き」というのは、ある意味無駄というような思想の持主らしく、とても合理的であることがわかります。

家庭生活

1999年2月、高嶋ちさ子さんが30歳の時に結婚し、およそ8年後の2007年にご長男、2009年にはご次男が生まれております。

出典:https://refinelifekaz.com/archives/3395

夫婦漫才

順調な夫婦生活なのですが、実際の応酬がまた軽妙なようです。「毒舌」で知られる高嶋ちさ子さんに対し、盛田賢司さんもまた、舌鋒鋭く、SNSでの心無い言葉にへこんでいるちさ子さんに、『あんたそんな人に好かれたかったんだ。そんな人の言動に見えないけどね。』というそうです。何か夫婦漫才のようで笑ってしまいます。

また夫盛田賢司さんは、冗談を言うだけではなく、妻である高嶋ちさ子さんのTVでの仕事ぶりを客観的に観察して、ちさ子さんにアドバイスをしています。

一見、「本当に下品」「アホみたい」ときっつい言葉を投げているようですが、TVで見られる立場である妻に対し、真剣にアドバイスをしていることがわかります。ちさ子さんも、旦那さんのアドバイスを真摯に受け止めています。さすが一流は理解力と柔軟性が違いますね。

生い立ち

父・弘之さん

父・弘之さん(1934/5/18~)は、神戸市東灘区御影町出身です。代々地主の家柄で、父・弘之さんのお父様は琵琶師匠をしていたそうです。またご先祖に、北海道の郷土料理で「三平汁」の開発者とされる松前藩の斉藤三平氏がおるそうです。

父・弘之さんは早稲田大学文学部卒業後、東京芝浦電気(現・東芝)のレコード事業部に入社しています。元々は映画監督志望で松竹の助監督試験を受けるのですが不合格となってしまい、お兄様・高島忠夫さんの紹介で東芝レコード事業部のディレクター試験を受け合格します。

そしてのちに東芝EMIの音楽ディレクターとなり、1964年以降ビートルズを日本に啓蒙した立役者となります。東芝EMIと日本にすごい経済効果をもたらした黒幕です。その後、由紀さおりさんのディレクターをつとめ、『夜明けのスキャット』を命名したと言われています。

1969年に東芝EMI退職後、1970年キャニオン・レコード(現ポニーキャニオン)の取締役制作部長に就任します。1976年退職後、ポリグラム・グループ(現:ユニヴァーサル)のチャペル・インターソング(音楽出版社)社長に就任しました。

現在は、『高嶋音楽事務所』社長として、ヴァイオリニストのプロデュース及びマネジメントや、コンサート・音楽コンテンツの企画や制作などを担う会社を経営しておられます。J-クラシックの流れを作るのが『高嶋音楽事務所』の使命だそうです。

ちなみに最近は、少し糖尿病気味らしいです。

出典:https://encount.press/archives/36307/

ちさ子さんらの幼い頃は、まさに昭和のモーレツサラリーマンという感じで、家には3時間寝に帰るだけだったそうです。しかし高嶋家のルールは、『朝食は家族全員必ず一緒に摂る』という事で、朝食時に家族団らんで色んな会話をしたそうです。

兄・太郎さん

ちさ子さんの1歳年上の兄・太郎さん(1967/1/15~)は、東京都立戸山高校、東京理科大学を卒業後、千代田化工建設株式会社で石油プラントの建設の仕事をしておりました。千代田シンガポール社の役員もしていたそうです。

ちさ子さんとは幼少時から仲良く一緒に遊んでいたそうなのですが、小3のちさ子さんに、何度も回転しながら箪笥の上から飛ぶことを命じるなど、Sな性質のようです。また仲も良いですが時には電気釜を投げてぶつけ合うほど凄まじい喧嘩をすることもあったそうです。お兄様に鍛えられ、ちさ子さんは男勝りに成長されたようですね。

出典:https://angelnews.net/takashimatisako-kazoku-12587

姉・未知子さん

姉・未知子さんはダウン症という、21番目の染色体が1本多く3本になってしまう先天性疾患なのだそうです。かつては20歳まで生きられないと宣告されながら、現在も健在です。これにはちさ子さんをはじめとした家族の愛あるサポートの賜物と思います。

昔から、兄・太郎さんはデートに行くようになると未知子さんを連れて行ったり、ちさ子さんは学校で「お楽しみ会」があると未知子さんを連れて行ったりしていたそうです。

未知子さんは比較的軽度のダウン症で、日常生活を送ることには問題がなく、漢字も書け、掃除洗濯もできるそうです。障害者就労支援センターへ通い自立の努力をし、「GAP」にて6年間、無遅刻無欠勤で勤め上げた実績もあります。

お母様・薫子さんが2017年8月に間質性肺炎で逝去されてからは毎朝、未知子さんが父・弘之さんの朝食を作っているそうです。

出典:https://angelnews.net/takashimatisako-kazoku-12587

母・薫子さん

お母様・薫子さんは東京芝浦電気(現・東芝)のレコード事業部で、父・弘之さんの2年後輩だそうです。小学校から高校まで田園調布双葉学園に通われていたお嬢様で、若い時は女優の野添ひとみさん似のすごい美女だったそうです。父・弘之さんとは1962年1月に結婚されています。(下の写真は、「映画ファン」昭和32年5月号の表紙を飾る野添ひとみさんです)

出典:https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=132427579

残念ながらお母様・薫子さんは、2017年8月に間質性肺炎で逝去されております。2015年2月に発症し、2017年の8月29日に亡くなられました。発症の少し前から変な咳をする事が多く、周囲も心配をしていましたが、連日ピアノの発表会と趣味の麻雀で病院に行かずに発見が遅れました。最後まで口癖のように「後期発見、早期ご他界」と言っていて病院にも行かない気丈な方だったそうです(よほど病院が嫌いだったのでしょうか)。

お母様・薫子さんはピアノ教室でピアノの先生をしておりました。自分の子供たちに対しては、厳しい言葉の中に愛のある発言をする方だったそうです。高嶋ちさ子さんのお姉様・未知子さんがダウン症であるため、お母様・薫子さんは、ちさ子さんとお兄様に、『みっちゃん(未知子さん)の面倒をみる人を産んだ、みっちゃんがいなかったら、産んでないから』と言い続けたそうです。

出典:https://pica-lifedesigner.com/takashimachisako-father/

更にちさ子さんに対しては、『自立して、稼げるようにしなさい』、『お金さえ稼げばお嫁に行っても肩身が狭くない』という人生の指針を与えたそうです。高嶋ちさ子さんはお母様の教えを忠実に守り、裁縫、子育て、家事などに協力的な盛田賢司さんを配偶者に選び、お金はご自分の方がたくさん稼いでいます。ちさ子さんはお母様からの言葉について、ちさ子節で語っています。

『そんな事言われて最悪だ!と言う方もいるでしょうが、私にはそれが生き甲斐になったし、お陰でここまでやってこれたから、母には感謝だし、そんな事言われて傷付くような子供じゃ二人ともなかったから、だから母も言ったんだと思う。うちの家族に近い人は、なんの違和感も感じなく受け入れられる言葉だから、それぞれ家族によって育て方って違うよね。同じ事をを言われて傷つく子もいるだろうし。』

高嶋ちさ子さんは、お母様の伝えたい本質をくみ取る、咀嚼力のある方だった訳です。『口は悪いけど愛がある』あたり、高嶋ちさ子さんのお母様と、旦那様・盛田賢司さんは近しいカテゴリーな感じがします。

 

まとめ

あの毒舌でどS、天才的バイオリニスト高嶋ちさ子さんの背景には、様々な家族の絆があったのですね。2020年以降はコロナで本業のコンサート等お仕事は力いっぱいすることができず、歯がゆい思いもあったと思います。しかしファンとしては、TVのバラエティなどで、高嶋ちさ子さんから元気をもらっており感謝の極みです。これからも高嶋ちさ子さんに注目していきます!

 

Follow me!

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)